機能不全家族として育った。
夫婦仲は悪く、仕事依存の父とアルコール依存症とギャンブル依存症になった末、突然蒸発した母親の元で育った。
母親が蒸発したのは15歳の頃のことで、その後は家事を受け持つヤングケアラーとなった。
そんなわたしはいつも親の顔色をうかがって過ごしていた。
そうなるとどんな大人になるのだろうか?
今日は機能不全家族として育ったわたしがどんな大人になったかをお話ししたいと思う。
大人になって困ることが増えた
以下のようになっていった。
- 空気を読みすぎる
- 完璧主義で白黒思考
- 自分の感情がわからない
- 依存体質
これらはわたしを生きづらくしている。
それはどんなことなのか?
空気を読みすぎる
親の顔をうかがっていたクセで、今でも顔色をうかがってしまう。
場の空気を悪くしていないだろうかと周りを見渡したり、嫌な思いをしていないだろうかと顔色をうかがってしまう。
空気を読みすぎることで、過覚醒になっている。
よくHSPと言ったりするが、おそらくそれだろう。
誰か機嫌を損ねている人はいないだろうかと過敏に察知しようとする。
表情一つの変化も気が付くことが多い。
人の気分が悪ければ、何とか変えたいと思ってしまう。
場の空気が悪くなっていれば、道化師になってみたり、話の方向性を変えたりする。
これは幼い頃から変わっていない。
本当はそんなことをする必要はないのだ。
わたしにはその責任があるとは言えないため、あえて場の空気を良くしようと奔走する必要はない。
それでもやってしまうのが、機能不全家族育ちの特徴のひとつと言えるだろう。
完璧主義で白黒思考なわたし
親の機嫌を損ねないために、間違いを犯さないようにとしてきたクセは今でも治っていない。
- 何事も完璧にしなければならないと思っている節がある。
- 毎日自炊をしなければならないと頑張ってしまう。
- 何かしらの活動をしていなければならないと何かすることはないかと探してしまう。
- 休むことは許されず、何かしていなければ居心地が悪い。
少しのミスも許されず、ちゃんと直しておかなければならない。
ミスをしたら一巻の終わりだと思ってしまうのだ。
親に完璧さを求められるのは、今でも変わっていない。
同居しているため、気が気ではない。
親の病気の理解が少しだけあり、休むことはできるようになったが、罪悪感がある。
もっと頑張らなければならないと常日頃から考えてしまう。
支援者からは「もっと自分を大事にして、休んでくださいね」などと言われるが、なかなかできないでいる。
自分の感情がわからない
機能不全家族で育つと、自分の感情よりも親の要求のほうが優先される。
そのために自分の感情を押し殺してしまうことの方が多いのだ。
その習慣は今でもある。
自分の本当の感情がなんなのか、わからなくなるのだ。
自分の感情を感じている暇もなかったというのが本音だ。
親の要求に応えなくてはならないと、子供ながらに思っていた。
自分の感情を押し殺してしまうために、自分の本当の感情を感じられなくなる。
いわば、否認だ。
たとえば、大丈夫じゃないのに、平気だと偽って振舞ってしまう。
相手には大丈夫なんだと思ってもらえるように、自分でもわからないうちに平気なふりをしてしまうのだ。
あとから溢れ出して、大丈夫じゃないと言ったりする。
これには自分でも困ってしまう。
今、何を感じているのか、心地よいのか不安なのかをいちいち確認しなければならない。
感情に蓋をしてしまうことや無視することもある。
そうして子ども時代を生きてきたクセだ。
感情がわからないために、無視してきた感情をあとから感じることもある。
感情を押し殺してしまうと、解離もしやすくなる。
離人症になったり、現実感喪失になりやすい。
本当の感情を感じることが課題となっている。
存体質になる
親のように、わたしも依存体質になった。
依存していたものを挙げると以下のようになる。
- お酒
- たばこ
- 過食症
- 自傷行為
お酒は依存まではいかなかったが、乱用していた。
帰り道に夕飯の材料と一緒に缶酎ハイを買って飲んで帰っていた。
そうしなければ、家に帰ることが出来なかった。
治療者に「それはやめなさい」と言わられたので、乱用というところで治まった。
それからだんだんとお酒の量を減らして、今ではお正月ぐらいにしか飲まなくなった。
たばこは10数年吸っていた。
禁煙外来に行き、やめている途中だが、どうにかやめられそうである。
煙草には依存していた自負がある。
なんどもやめようと試みたが、やめられなかった。
今回は本気でやめようと思っている。
過食症は今でも治っていない。
食べると安心するのだ。
満たされていく感覚になる。
過食症は治りそうにない。
精神薬でも食べたくなることもあるため、今のところ治療は保留になっている。
過食症は健康を害してしまうこともあるが、他のものと比べて安全な依存手段だと割り切っている部分がある。
しかし、詰め込んで食べるところを考えると自傷行為のひとつでもあるなと思っている。
最後は自傷行為だ。
かつて、気分を変えるためや安心するためなどの理由から自傷行為をしていた。
リストカットやオーバードーズ(OD、大量服薬)だ。
完全にやめられたとは言い切れない。
まだ数年に1回の頻度で繰り返している。
やってしまったときは悔しい気分になる。
またやってしまったと思う。
ただ、今もやめ続けたいと思っているので、やめ続けることが重要だと思っている。
本当の自分を取り戻す
しかし、癒していく作業が必要だと思っている。
親の代わりに、本当の気持ちを話すことも必要だと思っている。
そこで感情を受け止めてもらえる体験がわたしには必要だと感じている。
あとはトライ&エラーで練習していくことが重要だと感じている。
すぐにはできない。
でもよくしていこうという気持ちが大事だと思っている。
感情をありのままに感じられるような本当の自分を取り戻す作業がわたしには必要だ。
間違ってもいい体験も必要だ。
まだまだ変わっていくことも多くあるが、少しずつ変わっていけたらいいなと感じている。