6月末は誕生日だった。
わたしは残念ながら嬉しい半分つらいが半分。
誕生日って自分が生まれた意味とか考えがちではないだろうか?
ましてや、母がいなくなった=捨てられたと感じているわたしにとって、自分の存在意義を考えるには充分すぎる日である。
すると次第に希死念慮が高まってくるのであった。
今日は誕生日に希死念慮が高まやすいことに注目してみたいと思う。
誕生日は死亡リスクが高まるという研究
こんな研究データがある。
誕生日に死亡リスクが高まるという研究報告だ。
誕生日前後の死亡リスクの増加傾向を明らかに|大阪大学
ポイント
この研究データがあることはX(旧Twitter)でたまたま知った。
この研究データの意味するところは、誕生日前後に亡くなる人が多いということだ。
事故だけでなく自殺も含まれる。
わたしが感じたように誕生日という自分の生まれた日に自分の存在意義を考える人と言うのはいるということだ。
この研究は自殺予防に関して活かされるという。
誕生日は嬉しいものなのか
わたしは当日にたくさんの方からお祝いのメッセージをもらったし、仲の良い友人たちから誕生日プレゼントももらった。
とても嬉しく感じたのは間違いではない。
でも誕生日と言うのは物思いにふけりやすいと感じている。
一つ年を重ねるといういうこと、また自分の生まれてきた意味を考えたりするのにはうってつけの日である。
しかし、誕生日だけが要因ではないとも思うのだ。
その背景にはいくつもの苦悩や苦しみが伏線となっていると感じる。
その苦悩や苦しみは解決できることだろうか?
誕生日にはその苦悩や苦しみに寄り添ってあげることの方が重要なのではないだろうか?
もし苦悩や苦しみを持った人ならば、その想いを共有することに焦点を当てた方が良い。
誰かと共有できることで苦しみや苦悩は減らせる。
嬉しいことにわたしにはそのような友人がいてくれる。
まず大事なのは人とのつながりを持ち、想いを共有できることではないだろうか。
誕生日はただその人が生まれたことを祝うのではない。
生まれて生き続けてくれている今にありがとうと言える日にわたしはしたいと思う。
そうして初めて、ハッピーバースデーと呼べるのではないだろうか。