今年も6月4日を乗り切った。
6月4日はわたしにとって、負のアニバーサリーとなっている。
今日はなぜ6月4日が負のアニバーサリーとなったのか、その日をどうやって乗り切っているのかを話していきたいと思う。
負のアニバーサリーの由来
6月4日は15歳のわたしが初めて自傷行為をした日だった。
その日に母の蒸発を知った日だったからだった。
6月4日になると、母が蒸発した時のことを思い出す。
混乱した頭の中、現実を受け止めきれなかった日のことを思い出す。
それは毎年訪れるネガティブな記念日となった。
負のアニバーサリーとなり、毎年不調になってしまう。
今年も6月4日はやってきた。
もう何十年も経っているのに、鮮明に母が蒸発した日のことを思い出す。
そして母のことを思い出す。
もう何十年も会っていない母のことを思い出しながら、母のいない寂しさもついでに思い出す。
どこかにいるんじゃないかと、街中を歩いているときでさえも母の姿を探してしまうのだ。
もう姿は見えないけれど、わたしは寂しいのだ。
母がいないという事実をまだ受け止め切れていないのかもしれない。
そして母親の話をする人のことを羨ましく思ってしまう。
妬ましく思ってしまう。
そんな自分に嫌気もさす。
母がいなくなった時は衝撃的だった。
人は水みたいに蒸発するということがあるのかと思った。
その後、母のことを探して戸籍を辿ったりもしたが、未だに母は見つかっていない。
どこかで生きているのだろうか?
もう死んでしまったのだろうか?
それさえも知る由がない。
今年も6月4日はやってきた。
どこかで生きているかもしれない母のことを心の中で思った。
家族には言わない。
このアニバーサリーのことは禁句なのだ。
負のアニバーサリーの乗り切り方
毎年6月4日になると、母のことを思い出しながら辛さが勝ってしまって自傷行為をすることになる。
それを毎年乗り切っていくのだ。
まるで感情がフラッシュバックしているかのようにあの日に帰ってしまう。
寂しさ、孤独感、そういうものがワッと押し寄せてくるのだ。
詳しく言えば、5月の母の日から体調が悪くなる。
母の日なんてなくなってしまえばよいのにとさえ思ってしまう。
母の日になれば、街はカーネーションやらで彩られ、お母さんに感謝しようという文言で埋め尽くされ、わたしは居場所を失ったかのようになってしまう。
その街中から逃げるように家で引きこもってしまうことの方が多い。
家にいて、母のことを思い出す。
たいていは嬉しくないことの方が多いのだが、傷ついた心を抱えてヨシヨシしてあげることになる。
セルフコンパッションを使うこともよくある。
セルフコンパッションとは慈悲の心を持って自分のことを労わってあげることである。
以下の本が参考になるのでよかったら読んでほしい。
セルフコンパッションを用いてから、だいぶ楽になった。
傷ついている自分のことも慈悲の心を用いて、頑張ってるねと声掛けしてあげるようになった。
そのことで感情が整えられて、怒りの感情もスッと受け入れられるようにもなった。
しかし、今年はつらさが加速して自傷行為に至ってしまった。
乗り切っていこうと思っていたが、乗り切れられずに自傷行為が再発してしまった。
この時期は梅雨も関係して傷が膿んでしまう。
ここ近年、画期的に変貌した絆創膏の力を借りる。
傷は塞がり、傷跡となった。
しかし、この傷でさえ誰にも話せていない。
隠していなければならないと自分の中で思ってしまう。
まるで、母のことを口止めされたあの日のように。
毎年葛藤をしてこの時期を乗り切っている。
明確な乗り切り方をまだ知らないでいる。
葛藤して、苦しみの中でセルフコンパッションをして、それでもダメなときは自傷行為に至ってしまう。
また来年も負のアニバーサリーは訪れる。
今年よりも来年の方が乗り切っていくのに、葛藤が少ないといいなと毎年思いながら過ごしている。
きっとこの負のアニバーサリーは消えることはない。
それでもより楽に乗り切っていけるように毎年を迎えることが私にできることだと思っている。